歌うべき歌、囲むべき歌

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先日、歌番組が目に留まりました。

基本的に最近はニュースも見ることもあまりなくて、特定の番組だけをみるかみないかといった感じであまり見ていないのですが、目に留まったものがありました。

 

学生さんやまだ若い方、30歳まで程度の方々がでてきて歌を歌って、点数をつけてもらってプロデビューのきっかけを作る番組のようでした。今までもこういったものがあったような気もしますし、時代とともに変化をしながらつづけられているようです。

 

皆、とても上手でどこで歌ってもそれなり強い感動を与えられる技量です。

ですが、審査員には厳しい、ケースにより非常に厳しい評価を与えられるところが目に留まるものでした。

 

一番、奥の審査員の方がズバっとするどくいわれる方でおそらく名物的な存在なんだと思います。

ざっとみたところ、彼は何も否定したいとおもっているわけではなく、ここに座って自分のできることがそうなんだと、それをきかっけに飛躍してほしい、そう自覚しているんだと思います。

 

「審査員が絶句するほどのもの、点数をつけるのを忘れるほどの歌を」

 

2回ほど放送を見ました。

でも確かに自分自身、彼の「思い」は理解できる気がしました。

それほどのものだからお客さんを呼んでお金をいただいて、大事な時間を頂戴し対価として歌として価値を見出せるものなんだと、それが歌うたいのプロであるはずだ、だから皆にはそうなってほしい、ここに立っているならあなたにはそれができる可能性があるから、複製され汎用性は必要ない、それはボタン一つで今は叶えられるから。この舞台であなたが求められてきているなら、あなたが聞きたい。

 

この審査員の方々がもとめられているもの、それは余白を落としたかなり洗練された先のもの、そこからのまだ先を求めている、それも目が留まったことの一つです。

 

さて、本題です。

もしできれば聞いてみてください。

中学生のようです。

音楽チャンプという番組のようです。

丸山純奈さんというようです。

 

衝撃を受けました。

音楽的良心という言葉あるならそれといえます。

 

ルビンシュタインが若きホロビッツの演奏をきいて

「彼がピアニストというなら、皆廃業するべきだ」

かのルビンスタインすらそんな言葉を口にしました。

 

彼女が歌を歌えばいいし、彼女がピアノを弾けばいいし、弦を鳴らせばよいし、ラッパをふけばよい。

彼女がピアノの教師をすればよいし、発表会では彼女一人舞台で歌えばよいし、ピアノコンクールでも彼女が舞台で歌えばよい。

彼女がピアノの調律をすれば良い、それができなきゃそう、歌えばよい。

彼女がやめろというなら自分は調律師をやめなければなりません。

 

何に時間を使っているの?何をしたいの?そんなことに何の意味があるの?彼女が歌うほどの時間が誰が作っているの?

 

自分に問うてみました、日々、何かの理由をつけて何か意味の濃いことをしようしている?まるで嘘だけで何のための市場において下品な声でセリ市でわあわあと大声だしているようなもんです。

 

色々と考え直しざるをえません。

クラシック音楽世界や事情に話を移してもどのピアノ学生や夥しい数の音楽コンテストの誰より、囲む教師より、彼女が「歌」をもっています。

 

実際できることならすぐにでも歌いにきてほしいものです、このように、だから彼女は広くその歌を歌うことを求められる、だから職業(プロ)にするに値するといえそうです。

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