成田山

- comments(0) trackbacks(0) gclef

 

今日は、枚方でした。

お客様に

「成田山のお寺はどうですか?」

 

「すごく立派ですよ、いってみてください、目の前のお饅頭屋さん、いちご大福がありまして、ここよりおいしいものはありません」

 

そんな情報を得ました。

ピアノの方はKAWAIのK50まだまだ製造15年程度くらい若いピアノでした。

ハンマーが若い、というか響きをしらない状態で、大掛かりにヴォイシングやりなおすことで響きを発しはじめます。

 

(下は昨日のクロイツェルピアノ)

こういった国産で少しこだわりのあるメーカーでドイツレンナーハンマー搭載はよくあります。

しかし、基本的な土台の発音にあたる整音は工場でほとんどされていないように感じます。

YAMAHAの1950年〜60年あたりのものも同じような印象を受けます、ただただボーっとした発音で、材質と組みの良さ、アクションのすばらしさから打ち出される音がここで止まってしまっています。腰の方から相当数の針を深く何本も入れ続ける必要があります。このクロイツェルも同様でした。(誰かがやらないとずっと響きを知らないピアノにままになってしまいます。イースタインやディアパソン大橋なども同様で、また後で消耗で交換されたハンマーの多くも同様で、鳴らないから針を入れるという発想はまだ認知が薄いと思います。)

 

ちょうど、真横だったので少し寄ってきました。

車内のガラスから、何か陽の気が生き生きした動きがあって人が動いて。

よってみたくなりました。

立派。

 

入ってみて、お寺、特別な場力が集まった場所にあるべくして建てられているそうです。

京都の街自体が風水で、それにならって作られたのは象徴的なんだそうです。

日差しが暖かくありがたい日よりです。

本堂によってみよう。

 

中では古来の生き木が当時の言葉で諭し、火がゆらめいては、その場力の発する源に不動尊が祭られています。

正座してみて、体内の活動が自身を超えて、こうしてようやくその秩序を音として感じることができます。

経を読まなくとも意味がわかる、経を聞かずとも体が感応します。

心身が求めるがなりに。どこかに書いていないかと探すほどです。

 

深く沈静された無の響きの中に快楽がある、そんなことを感じました。

死生観というのは、西洋東洋また違うところがあるようですが、こういった快楽の中に、身を受け渡すにあまりある価値を見出すんだそうです。

 

本堂の写真はさすがにとれませんでしたが、枚方市なので、関西の方は比較的行きやすい場所のはずです。

ちょうど会社では教室の発表会の会場探しの時期でした。

本堂では音楽会はできないでしょうが、探していたところがここにありました。

 

なぜそれほど精を出して傷つくべく人は傷つくこうとするのか、不思議な気持ちになりますね。

ぜひいってみてください。車で簡単に乗り込めますよ。

 

余韻が強く、イチゴ大福は忘れてしまいました。

交通安全の意味合いを含んでいるようで、明日は名古屋出張ですので良い時期でした。

 

 

調律はお経と似ています。

その響きの向こう側に桃源郷もありますし、明け渡す無の快楽もあるように思います。

そして盤上の快楽もあるようで、これが調律師の大きな仕事の一つです(整調)

  • 0
    • Check

    スポンサーサイト

    - - - スポンサードリンク
    • 0
      • Check
      コメント一覧
      コメントする

       

      トラックバック

      この記事のトラックバックURL

      無料ブログ作成サービス JUGEM